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美味しんぼのとんかつ屋「学生さん、とんかつを毎日食いなよ」←これ深いよな


74 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 13:03:23
戦国時代の殿様と江戸時代の殿様はかなり違う。
 戦国時代の殿様は当たり前だが、国許生まれの国許育ちが普通。
 江戸時代の殿様は正室腹の子は、江戸生まれの江戸育ち。大名の正室とその子
は江戸在住が義務づけられていたため、江戸っ子。側室腹の子でも嫡子とされた
場合、江戸住まいになることが多かった。
 だから、江戸時代の殿様は基本的に都会っ子。遊び好きの殿様だったら、娯楽
施設の豊富な、江戸暮らしの方が好きと言うのが多いと思われ。(江戸時代は
TV・ネット・TVゲームなどの室内娯楽はないし。)
 定府大名と言って、幕府の要職についていないのに江戸に常駐する大名が出て
きたのもわかるような気がする。



79 :日本@名無史さん:2006/10/08(日) 18:04:40
戦国時代の殿様はとにかく大変。

・ 他国の侵略に備え。(江戸時代は大名間の私闘は幕末期以外なし)
・ 家臣の統制に苦慮し。(重臣クラスの寝返りで滅亡した大名多し)
・ 身内同士で殺し合い。(信長は実弟を。家康は妻子を。伊達政宗は父親・実弟を殺している)
 
 他国の侵略に怯え、親子や兄弟でも信用できない殿様はどこで息抜きしたんだろう?



80 :日本@名無史さん:2006/10/08(日) 18:13:16
だから出家したりするのかもな。


81 :日本@名無史さん:2006/10/08(日) 19:11:32
>>80
そう言えば、戦国大名の隠居と言えば、出家して寺住まいと言うパターン
多いよね。
 江戸時代の殿様は隠居しても出家しない人多いな。江戸郊外の下屋敷で
マターリ生活。女好きの殿様は吉原へお忍びへ。



84 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 23:43:02
国許では、お忍びで城下町に出向くにしても、殿様の顔を知っている
藩士たちも城下町で遊んだりしてる訳だから、目立ってしょうがないわな。
 江戸なら、大藩の殿様といえども、300諸侯の中の一人に過ぎない訳だし
、歓楽街の規模も地方城下町(大坂・京都含む)とは違うわな。
 吉原で太夫を身請けする殿様もいたりする訳で。



85 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 19:29:29
殿様も大変なんだねぇ~



関連‐将軍について ‐ ちぇりお(コピペハウス)
    歴史上有名人の身長
    【元寇】おまえらが学校で習ってきた歴史と異なる真実


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コメント
  1. 名も無き修羅 2010/05/19(水) 13:25
    逆に言えば、戦国時代なら下克上とかで下から成り上がるチャンスもあったってことじゃん。
    江戸時代にそれやったらきっとお家取り潰しだろ?

  2. 名も無き修羅 2010/05/19(水) 13:34
    確かに成り上がるチャンスはある。
    しかし目指す席が数少ない以上、
    成り下がるピンチ(殺される)>>>>成り上がるチャンス
    であると考えられる。
    殺伐とならざるを得ない。

  3. 創造力有る名無しさん 2010/05/19(水) 13:48
    なるほどな
    いまの日本の殿様も江戸で遊んでばっかりだもんな
    早く蝦夷へ帰って欲しい

  4. 名も無き修羅 2010/05/19(水) 21:56
    室内娯楽で双六とかなかったんだろうか?志村けんのバカ殿の見すぎか

  5. 名も無き修羅 2010/05/20(木) 01:42
    >双六
    その手の遊びは公家っぽいイメージ

  6. 名も無き修羅 2010/07/14(水) 07:43
    囲碁、将棋、笛、金魚や小鳥、カジカガエルの飼育、室内風俗などはあっただろうけどな。日本の最高レベルのものを集めても、それだけで引きこもるのはきついだろう。

  7. 名も無き修羅 2010/07/14(水) 10:16
    こういう戦国豆知識系もっとください

  8. 名無しさん@ニュース2ちゃん 2010/11/05(金) 22:48
    20651
    こういうのが増えたら増えたで
    変なヤツがたくさん沸いてうっとうしいよ

  9. 名も無き修羅 2012/07/07(土) 12:48
    室町時代も守護大名は京都にいて、地方の実務は家臣を守護代にしてやってた。
    結局これが下克上の要因の一つ。

  10. 名も無き修羅 2023/03/19(日) 10:16
    薩摩の大名である島津斉興は江戸屋敷で正室に男児を産ませたが国元では愛妾にも男児を産ませてお家騒動が発生した。
    結局は順当に正室の子である島津斉彬が斉興隠居後に次の大名となったけど斉彬が産ませた男児は夭折してしまったので
    愛妾の子である島津久光が大名を後見する国父という扱いになり久光が産ませた若年の男児が斉彬死後に次の大名となった。
    家中の事情で国父となった久光が屈指の雄藩を牛耳るキーマンとして産まれ育った薩摩からいざ中央政界へと乗り込んだら
    そもそも大名本人ですら日本中に大勢いるのにたかだか大名の親族に過ぎない男が身の程も弁えないと散々だった。
    斉興の代に起きたお家騒動では斉彬が次の大名になるよう尽力して斉彬の代には近臣として一躍抜擢された西郷隆盛は
    抜擢されてた時に薩摩の使者として幾度も他家相手に様々な交渉事をしていたのでその辺りの機微を存分に心得ていた。
    で国父は知能こそ暗愚ではないが薩摩育ちで江戸や京都の序列感覚に疎い地五郎(田吾作)と放言して島流しになった。

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